ソーイヤーの断酒日記

30歳から始めた晩酌習慣を止めると、人生は変わるのか? 実験の記録。

断酒60日

一人暮らしをしていると誰とも話さないので

気がまぎれない。

過去の嫌なことがフラッシュバックされる。

暇すぎるのだ。

本当は、小説を書くためにこの場所にやってきたというのに

小説は書かないで過去ばかりを思い出している。

自然と思い出されるのだ。

世界で一番大切な私がぞんざいに扱われた記憶が

こびりついて許せないという思いがやってくる。

なぜいつも私はぞんざいに扱われなければならなかったのか。

腹が立つ。過去を思い出しても無性に腹が立つ。

ほかの人はどうなのだろうか。

みんな幸せなのだろうか。

みんな幸せではないから、他者に難癖をつけて自分の優位性を保とうとしているのでは

ないだろうか。

周りの人間を見てみよ。

幸せな人がいるのだろうか。

釈迦はこの世は一切皆苦と言った。

 

まさにそうではないだろうか。

この世は苦しみにあふれている。

不幸な人間が多いのだ。

本当に幸せな人間は人を侮ったり、貶めたり、非難したりはしない。

私も不幸だからいつも心の中で毒づいているのだ。

できるだけ日々の小さな幸せを見つけて

それでなんとか毎日を生きているのだ。

大きな不幸=戦争状態ではないから。

戦争や災害で家族や愛する人が亡くなってはいないし

財産を失ってもいない。

健康でもある。

あるものを見つめよ。

 

釈迦は知っていた。人々はみなほっておくと不幸になると。

だから一切のいきとしいけるものに対して幸福であれと念じたのだ。

眠っているとき以外は、一切の生きとし生けるものに幸福あれと念じよと。

そうしていると我が無くなっていくような気もする。

マウントを取ってくるような奴は不幸せなだよ。

もうすぐ還暦なのに、なんて青すぎる心なのだろう。

 

 

断酒57日

本やDVDをいくつか借りてしまい

それが机周辺に散らばっている。

本当にやらなければならないことを

放置してしまっていているような感じ。

これでいいのか。

何をしていてもこれでいいのかと、心から楽しめていない。

何をしてもいいはずなのに。

そう。何をしてもいい。

法律に違反していることでなければ何をしたっていいのだ。

もう悠々自適な生活を送っているわけだからね。

いろいろなことを悩んでいる。

過去のことも未来のことも。

悩みは尽きない。

一切の生きとし生けるものは

幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。

断酒55日

〇40.7㎏

Youtubeに朝から見入ってしまって、もう2時前になってしまった。

毎日が日曜日状態が2年くらい続いているということか。

名古屋に来てすでに1年以上経ってしまった。

ここに来てから1編の小説も書いていない。

なんということだろう。

なんらかんら言って書きたくないのだろうか。

仕事しているときはあんなに書きたかったのに。

現実逃避?

なぜ書きたいと思ったのか?

承認欲から?

ずっと人に馬鹿にされる人生だったから。

だから人から認められねばならないと焦っているのだろうか。

人に認められなければならないと思うのはなぜ?

別に人に認められなくてもよいではないか。

多くはみなそういう人生なのだから。

自分だけが納得できればいいのに

何を私は焦っているのだろうか?

周りの人間を見返したい。そういう思いなのだろう。きっとそうだ。

復讐なのか。

断酒54日

〇体重40.8㎏

断酒は続いているが集中力は続かない。小説も全く手を付けてはいない。

旅のフェイスブックにはまってしまっている。現実逃避か。

働いてもいない、悠々自適の生活なのだから現実逃避もないのだけれど。

高等遊民」というような生活になっているのではないだろうか、ひょっとして。

これを楽しまないといけないのだよ。今まで働いてきたのだから。

そんなに頑張って働かなくてもよいのだよ。いつも卑屈になっているのだけれど。

卑屈にならないでも大丈夫なのに。

ああ、また過去のことを思い出してしまった。

過去の嫌なかことを思い出すのは楽だからだ。

日本の都道府県でも覚えればいいのに。

あるいは英単語。

そんなことはしないでいつも楽なほうへと自分を逃がしている。

時間がもったいない。

あとどれくらい生きるというのだろう。

還暦近くになったのだから、あと健康な頭脳でいられるのは20年くらい?

30年くらい?

長いのか? 短いのか?

後悔はしないように。

もし、も考えないように。

気づくのだよ。

気づいているはずなのに。

 

今日はゴッホの絵を見に行った。

たくさんの作品を残したゴッホ。生前売れたのはたった一枚だけだったという。

写実的な絵も描ける。点描的な絵も描ける。

いろいろな作画法に挑戦していたのだ。

売れずともひたすら描いていた。ひたすら。

一枚の絵から迫力が感じられる。

描かずにはおれないんだ!という思いが。

 

ゴッホのあの筆遣いははゴッホの内なる情熱を感じさせる。

空も動いているようなあの筆遣いは面白い。

絵をかくことが嫌で嫌でたまらないのだったら絵なんて描けない。

完成まで時間がかかるし、描いているうちに飽きてくるし、最初は下手くそに

決まっているから上手になるためにもやはり時間はかかるし。

下手でも描いていく。描きたいから。

描くのが好きだからなんだろう。

下手でもなんでも私も書こう。

どんなものでもいいから書こう。

断酒28日

〇体重40.7㎏

昨日お腹を壊した。

シチューの粉がやはりまずかったのかもしれない。

牛乳入りは受け付けないのか。

鮭がまずかったのか。

よく分からない。

フェイスブックのほうは相変わらず夢中になっている。

私はこんなことをするためにここにいるわけではないはずなのに。

 

ただ文章の練習にはなっているのかもしれない。

投稿した後で何度も何度も推敲を重ねるから

これはこれでいいのかもしれない。

しかしもっと考えるべきこと、やるべきことがあるのでないか。

こんなことに時間を費やしていいのか。

構想が浮かばないから仕方がないか。

断酒27日

〇体重41.3

 

これと言って努力で自分のものにしたというものが何もない私が

珍しく断酒は27日継続して続いている。

一人で様々なことを考える。

多くは自分の過去の後悔。

自分の性格について。

中学校で完全無気力になり、亡霊のように学校に通っていた。

卑屈になってしまった。

他者への憎しみや人間不信も募った。

まだそれを抱えているというのか。

なんだか情けない。

暇になりすぎ。

はやく人の役にたつようなことを考えなければならない。

自分のことばかり考えないで他者のことを考えよう。

断酒24日

〇体重41.5㎏

なぜか体重が増えている。玄米を食べ過ぎているのだろうか。

このところ、口にいれるものは、タンパク質は、納豆、豆腐、卵、味噌

豆乳ヨーグルト、豆乳チーズくらい。

野菜も白菜、ホウレンソウ、大根、玉ねぎ、にんじん、ニンニクくらい。

お酒も飲んでいない。

ミカンやブルーベリージャム、ナッツ類がよろしくないのだろうか。

玄米は確かにお腹が重くなるような気がする。

漢宝塩のせいか、ガスが硫黄臭い。

ジャムの成分表示には砂糖が入っていないはずだけど

もしかして砂糖がはいているのだろうか。

自分と向き合う時間を作ろうと思うのだけれど

フェイスブックなどに時間を取られている。

スマホは本当に依存性が高い。

娘が依存症になるのも分かる。

明日は晴れるはずだから掃除と洗濯をしよう。

一人暮らしをすると時間はあっという間に過ぎる。

人の一生なんてはかないなぁなんて思う。

小説はちっとも書けない。

私のやりたいことはこんなことではなかったのかもしれないのかな。